戦艦大和

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戦艦大和

1、建造
大和型戦艦1番艦として計画・建造された戦艦「大和」は、日本海軍が誇る超弩級戦艦であり、大鑑巨砲主義が行き着いた終着点とも言われています。
1940年8月8日に進水し、1941年12月16日就役した「大和」は、現在でも世界史上最強最大を謳われる戦艦であります。

2、性能、特徴
主砲の46cm砲は史上最大であり、最大射程が約42kmであると言われています。基準排水量は65,000トン、全長263mと、他に類を見ない大きさは、隣に戦艦「日向」が並んだ際に「戦艦と駆逐艦の様だ」と言われていたほどという逸話が残っています。
またその予算や運用にかかる費用も膨大であり、ただ停泊しているだけで一日5トンの重油を消費したと言われるほど金食い虫であったようです。

3、戦歴
それ程の巨大な戦闘力を誇る「大和」ですが、時代は既に空母を主力とした航空機による戦闘が戦場の趨勢を左右していた時代となっていました。その運用コストの高さも相まって、戦場に出ることはほとんどなく、日々停泊地に留まっているだけの「大和」を揶揄し、「大和ホテル」と言う者もいたそうです。
作戦としては、ミッドウェー作戦、カ号作戦、戌一号作戦、渾作戦、あ号作戦、捷一号作戦などへの参加記録が残っているのですが、そのどれもが実際には戦隊旗艦としての参加であり、戦場を遠巻きにして軍令部の指示を発信していただけの存在だったと言えます。

4、末路
「大和」の最後となるのは天一号作戦です。この天一号作戦が、「大和」が経験した唯一の実戦であるのは何とも言い難いものがあります。1945年「大和」は(表向きは)沖縄戦の援護に向かうため、数隻の巡洋艦や駆逐艦とともに航行していました。その途中、約400機の航空機による「袋叩き」を受け、船体を真っ二つに引き千切る程の大爆発と共に沈没しました。日本海軍を象徴する戦艦であり、不沈艦と言われた戦艦「大和」の轟沈により、日本海軍はその戦闘遂行能力を完全に喪失し、終焉を迎えることとなったのです。
5、その他
実は「大和」の存在は国民にはあまり知らされておらず、これほどこの「大和」が有名になったのは終戦後です。近年では「宇宙戦艦ヤマト」に先立つブームから日本の創作文化を語る上で外せないピースとなっています。また「大和」の残したインパクトは大きく、現在でも最強の軍艦としてその名が挙がることは珍しくありません。