戦艦山城

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戦艦山城

戦艦山城

1、 建造
戦艦「山城」は、扶桑型戦艦の2番艦であり、主要な装備や外観は戦艦「扶桑」と似ています。
起工は1913年11月20日、その後1915年11月3日に進水し、1917年3月31日に就役しました。
ただし、実は設計段階で既に1番艦の「扶桑」の欠点が明るみになっており、「山城」は設計変更が予定されていましたが、多少の問題には目をつぶって就役を優先させたという事情により欠陥を抱えたまま就役することとなります。

2、性能、特徴
姉妹艦の「扶桑」とほぼ同じ大きさです。基準排水量29,326トン、全長205m、全幅28.65m、最大速は23.8ノットで、当時の平均的な水準を保持しています。
なお、扶桑との見た目の違いですが、第3砲塔の向きが、「扶桑」は前向き、「山城」は後向きになっているところで見分けることが可能です。

3、戦歴
就役時から欠陥が露呈していたこともあり、就役後も度重なる改修を受けることとなります。開戦後は何度か出撃機会があったものの大した戦果もなく、その後は扶桑と同じく練習艦としての日々を過ごします。また、その後も改修を繰り返し、「艦隊にいる方が珍しい戦艦」と言われたこともあるようです。
そんな「山城」ですが、戦局の悪化した1944年、姉妹艦の「扶桑」とともに西村艦隊に配属され、その旗艦として、「山城」の戦歴として最初で最後と言っていい最前線へと突入することとなります。

4、末路
西村祥治中将を司令官とした通称西村艦隊は、 1994年10月25日未明に米艦隊と激しい砲雷撃戦を繰り広げます。戦艦「山城」は大破・炎上し、午前4時19分頃フィリピンの海に沈んでいきました。
このスリガオ沖海戦で、日本軍は4000名以上が戦死したと言われており、太平洋戦争における最も無惨な戦いの一つと評されているようです。

5、その他
海外における「第2次大戦時のかっこいい戦艦」アンケートにおいて、大和、アイオワに次ぐ第3位に扶桑型がランクインしています。見た目に何とも不安定なパゴダマストといわれる独自の艦橋がその理由のようですが、この人気ぶりは当時の不遇さを知る人達から見るとどのように映るのか、興味深いものですね。