戦艦武蔵

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戦艦武蔵

戦艦武蔵

1、 建造
戦艦「武蔵」は、大和型戦艦の2番艦として三菱重工業長崎造船所にて建造された、「大和」と並び評される日本を代表する戦艦になります。起工は1938年3月29日、その後1940年11月1日に進水し、太平洋戦争勃発後には急ピッチで就役に向けて工事を進め、1942年8月5日に就役しました。

2、 性能、特徴
同型艦である戦艦「大和」とほぼ同じ性能を持っていますが、機関定格出力は「大和」と比べ、3553馬力ほど劣っていました。これは缶とタービンをつなぐ高圧蒸気管や、その他の重要な配管類が突貫工事となってしまったためと言われています。

3、戦歴
戦艦「武蔵」ですが、就役後には戦艦「大和」から連合艦隊旗艦の座を譲り受けました。
しかし、連合艦隊の拠点であるトラック諸島からは出撃することはほとんど無く、戦艦大和を「大和ホテル」と揶揄していたように、戦艦「武蔵」も「武蔵旅館」と陰口を叩かれるようになっていたそうです。
その後、あ号作戦やマリアナ沖海戦等の戦いに参加しますが、大きな戦果を挙げることなく、レイテ沖海戦に突入します。

4、末路
戦艦「武蔵」の最後はレイテ沖海戦でした。1944年10月、レイテ沖海戦に出撃した際に、米機動部隊に発見され6度にわたる航空部隊の襲撃を受けます。度重なる米軍機から集中攻撃を受け、徐々に艦隊から落伍、被弾数は魚雷20~33本、爆弾17~44発、至近弾20発以上(諸説あり)という、軍艦として空前絶後の損害を受けました。17時30分頃、左舷傾斜したままわずか6ノットという速度しか出せなくなった状態でコロン島への回航を開始しますが、艦首が完全に水没しその後19時15分頃に総員退艦が発令され、乗組員が脱出しました。その後もしばらく海上に浮いていたとの報告がありますが、ほどなく艦首方向から沈没していったそうです。

5、その他
2015年3月2日、マイクロソフト社の共同創業者であるポール・アレン氏が戦艦「武蔵」と思われる沈没船をシブヤン海の水深1000mの地点で発見しました。その動画を日米複数の専門家が鑑定し、間違いなく戦艦「武蔵」であると断定しています。なお、残念ながら引き上げについては予算や技術の面からかなり難しいとのことです。