戦艦金剛

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戦艦金剛

1、建造
戦艦「金剛」は、金剛型戦艦の1番艦であり、イギリスのヴィッカーズ社で建造されました。当時の日本は戦艦の建造技術に乏しく、ドレッドノートを建造したヴィッカーズ社に発注することで英国の進んだ建艦技術を学ぶことにしたそうです。起工は1911年1月17日、その後1912年5月18日に進水し、1913年8月16日に就役しました。

2、性能、特徴
その大きさですが、基準排水量は26050t、 全長222m、全幅29.0m、35.6㎝連装砲塔四基と 15.2㎝単装砲塔、 12.7cm連装高角砲などを装備し、その後の金剛型戦艦をはじめとした日本海軍の戦艦の基準となるようなバランスのいい戦艦となっています。
また、改装後の速力は30ノットを出すことが可能であり、機動部隊の護衛に最適な戦艦として重宝されることとなります。

3、戦歴
太平洋戦争の初期において、1941年12月のマレー沖海戦、1942年10月のヘンダーソン飛行場艦砲射撃、1944年10月のレイテ沖海戦等、様々な海戦を経験。比較的旧型の戦艦でありながら縦横無尽の活躍を見せた数少ない武勲艦であるといえるでしょう。もっとも、新鋭の軍艦である「大和」や「武蔵」また「長門」らの投入を躊躇した結果であるともいえるため、「金剛」の活躍は手放しでは喜べないという意見もあります。

4、末路
レイテ沖海戦後戦艦「金剛」と「榛名」は、近辺の戦場を転々したのち、日本本土への帰還が決定しました。11月21日。その帰途において、米海軍の潜水艦シーライオンの魚雷攻撃を受け艦首と煙突下の缶室に合計2本の魚雷が命中しました。当時、「金剛」はすでに艦齢30数年と老朽化が進んでおり、レイテ沖海戦でも被弾していたこともあり。傾斜が増大すし午前5時30分に転覆、沈没しました。

5、その他
「金剛」の名は現在の海上自衛隊にも引き継がれており、ミサイル護衛艦(イージス艦)1番艦である「こんごう」が就役している。ちなみにイージス艦「こんごう」も設計のベースはアメリカ海軍のアーレイバーグ級であり、「金剛」も「こんごう」も外国由来の設計であるという共通点があります。