戦艦陸奥

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戦艦陸奥

戦艦陸奥

1、建造
戦艦「陸奥」は、長門型戦艦の2番艦として建造されました。
起工は1918年6月1日、その後1920年5月31日に進水し、1921年10月24日に就役しています。
なお、戦艦「長門」とならび世界のビッグ7と呼ばれる戦艦のうちの1隻であり、「長門」と並んで日本の誇りとして国民に広く知られた存在でした。

2、性能、特徴
主要な艤装は「長門」と共通しており、大和型が就役するまで最大の威力を誇った41㎝連装砲塔四基をはじめ、14cm単装砲や 12.7cm連装高角砲を装備していました。
一方で、「長門」と異なる部分として後橋や艦橋指揮場の形状であったり、主砲塔の測距儀のサイズが異なったりと、微妙な違いを見せています。

3、戦歴
「長門」とともに日本海軍の象徴であった戦艦「陸奥」ですが、残念ながらほとんど戦場に出ることはありませんでした。唯一、1942年8月の第2次ソロモン海戦への参加記録が残っていますが、それも駆逐艦への給油担当としてであり、その持てる能力を発揮することはありませんでした。

4、末路
戦局がひっ迫してきつつある1943年6月8日、呉に近い柱島泊地に停泊中、三番砲塔付近から突然大爆発を起こし、瞬く間に沈没してしまいました。
41センチ砲塔が艦橋と同じ高さにまで吹き飛ぶほどの爆発であったと言われています。また、目撃者によると、一瞬にして船体が二つに折れ沈んでいったとの証言が残されています。
原因は不明であり、米潜水艦の奇襲・劣化した弾薬の自然発火・駆逐艦が誤って落としたまま放置されていた機雷に触雷、等諸説ありますが、どれも推測の域を出ていません。
また、この陸奥の沈没は国民の動揺を招くという理由で極秘扱いとされ、長く公表されることはありませんでした。

5、その他
戦後、数度にわたって「陸奥」の引き上げ作業が行われており、一部は記念館に展示されていますが、当時の製鉄技術の特徴によりコバルトを含まない鉄であることから重宝され、「陸奥鉄」という名で全国の原子力関連施設で使用されているとのことです。